作家情報
Artist Profile
鈴木遼弥
静脈街区に参加した理由:コロナが流行したあたりから空き家への興味が湧きました。僕にとってはコロナ以前の家は単に帰る場所にすぎませんでした。しかし自粛によって家にいることを必要とされた時、自分の家は自分にとって必要な物しかないことに気づき、自分の体そのものような感覚が湧きました。僕にとって、空き家は心と体の同一性を失った状態と同じようなものだと思っています。空き家を使った制作は、その失われた心と体の同一性を再度つなぎ合わせる作業なのではないかと思い、参加しました。
制作に際して:街の中の「形」と「人の流れ」を記録し、組み合わせることで言葉では残せないこの街らしさや、この街の持つ面白さを記録できればと思っています。
好きな食べ物:茶団子
Carving Photo #10 2022
ある時、僕の中でガラスの写り込みや鏡像が気になった。それは立体的な像のあり方ではなく、平面的で階層的な像のあり方を感じたからだと思った。イメージをひたすらに貼り付けて、それに凹凸を加えることで見える像は一体なんなのか、それはガラスの写り込みのような虚像なのか、現前の風景のような実像なのかを確かめようとした。
ある時、僕の中でガラスの写り込みや鏡像が気になった。それは立体的な像のあり方ではなく、平面的で階層的な像のあり方を感じたからだと思った。イメージをひたすらに貼り付けて、それに凹凸を加えることで見える像は一体なんなのか、それはガラスの写り込みのような虚像なのか、現前の風景のような実像なのかを確かめようとした。
portraitシリーズ 2024
フィルム写真には現像をする前のフィルムを「潜像」と呼ぶ。見た目では像を確認できないが、確かにそこには何かしらの像が存在している状況を指す。
僕の中で最も重要なことは目には見えない何かを現像させること。人物のポートレートを木版画を通して現像させたとき、木版画というフィルターによって稜線は濾されてしまうが、そこには見えない何かが残されるのではないだろうか。
フィルム写真には現像をする前のフィルムを「潜像」と呼ぶ。見た目では像を確認できないが、確かにそこには何かしらの像が存在している状況を指す。
僕の中で最も重要なことは目には見えない何かを現像させること。人物のポートレートを木版画を通して現像させたとき、木版画というフィルターによって稜線は濾されてしまうが、そこには見えない何かが残されるのではないだろうか。
concrete block 2021
哲学の中で「物」とは何かというのは常の命題になっている。僕は物の見た目と本質は必ずしも同一ではないと考えている。むしろ私たちは表面的な見た目によってその物を判断し、そこに含まれる本質はある種の第六感のようなもので判断しているのかもしれない。
哲学の中で「物」とは何かというのは常の命題になっている。僕は物の見た目と本質は必ずしも同一ではないと考えている。むしろ私たちは表面的な見た目によってその物を判断し、そこに含まれる本質はある種の第六感のようなもので判断しているのかもしれない。